dramatic life 面白きなきこの世を面白く

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親父が永眠いたしました。

お久しぶりです。みなさま、いかがおすごしでしょうか?
心にポッカリと穴が開いてしまったようだとはよく言ったもので
今まで、親父の病気のため一緒に戦ってきたのですが、
今朝永眠いたしましたことで、自分の心をどう持っていけばいいのか
わからなくなってしまい、久しぶりの筆を執ることになりました。


子供のころの僕にとっての父は、『仕事ばかりであまり家庭を顧みない人』という位置付けだった。子供の学校行事には記憶の中では一度も来てもらったこともなかった。
そして、僕は3人兄弟の末っ子として生まれたので、兄たちの動向を見て上手く立ち回るということで、末っ子ならではの要領の良さを生まれ持っていた、、、はずだった。


思春期には子供たちに優しく(甘く)、口下手で兄たちに対して上手く叱ることができない父に失望と軽蔑の目を向けていたことを今はとても後悔している。


しかし、どんなときでも父は子供らを受け入れ、守ってくれる存在だったことは今でこそ身に染みてわかっているのだ。また、父の仕事に対するプライドや家族を守る姿勢は子供のころから尊敬もしていた。


子供のころも、今も、どんな子供であっても変わらぬ優しさで不器用に守ろうとしてくれていた愛情は着実に僕の遺伝子に組み込まれているのだと感じている。


父の病気が発覚した時、悪い冗談だと思った。
今でも下で寝ているように横たわっている父が今にも目を覚ましそうな感覚でもいて、父の死を受け入れられない自分もいる。だから、父に話しかける時も病院でいたときと同じように耳が遠くなった父を案じて耳元ではっきりと話しかけている。


「お父さん、俺来たよ。」
「お父さん、おうちに帰ってきたよ。おかえり。」
「お父さん、みんな来てくれたよ。」


それを見ていた医師はこのようにも話してくれた。
「人は心臓が止まってからも耳は聞こえているんです。だから、よく話しかけてあげてくださいね。」


医師の話を聞く前から、僕はそんなつもりはなかった。ただ、まだ父が生きているのを信じようと張り裂けそうになる心とのバランスをとるため、父に話しかけていたのだけど。


父は安心して眠れたのだろうか。


父は良い人生だったのだろうか。


僕はちゃんと親孝行できたのだろうか。。。。


まだまだ死なないと思ってた。。。
病気の進行もあったから、いずれはとは思っていたのだけど。。。
まだまだ死んでほしくないと思ってた。。。


だから、最後に『ありがとう』を言えなかった。
父にはたくさんのものをもらったのに。。。


届くかわからないけど、僕は父の耳元で何度も言った。
「お父さん、ありがとう。」
「お父さん、いっぱい愛してくれてありがとう。」
「お父さん、家族を守ってくれてありがとう。」


働くばかりで自分に対しては何も望まなかった父は自分の服を買うことも自分から望んだこともなかったんだよね。。癌になってからも、家の片づけをしたり、ちゃんと休んでと何度も言っても父はずっと動いていた。


「お父さん、今度は天国ではゆっくり休むんだよ。」
僕は父の耳元でしっかり話した。


「わかったよ。わかった。」
って声が聞こえそうな気がしたけど、でもきっと「わかった」と口では言っても母や家族の言うことは絶対に聞かないのだろうなぁ。。。