武士道とは、死ぬことと見つけたり
佐賀藩士 山本常朝は、「葉隠聞書」で「武士道と云うは死ぬ事と見付けたり」と著書の中で有名な言葉を残しているが、これは現代に生きる僕らこそが読むべき本であると思う。
ここでいう死ぬことは、なんでもすぐに腹を切れってことではなくて、
「常に自分の死に際を考えて行動せよ」
って意味だと思っている。
人生の最大の恐怖である死を考えれば、人生いろんな問題があると思うけど、どれも些細なことのように思えてくる。
そして、死に際は当然、「生きざま」としてフィードバックされるものだろう。
だから、この本は戦時中は死ぬことが美徳と曲げられた解釈で洗脳にも使われたのだけど、実は逆で、、
人としてどう生きるか?
って、部分を追求してメンタル構築のための自己啓発本とも言えるのだ。
そして、日本人は恥の文化とも言えるのだが、恥についても触れられている。
漢字では耳に心と書くのだが、現代はこの耳に心を持たない人がなんと多いことか。。
クレーマーやモンスターペアレントなども、最近では取りざたされているが、、、
確かに中には質の悪いものもあるし、言わなきゃわからない改善されない問題も多数あると思う。
まぁ、僕にはあまり苦情めいた話はないのでなんとか上手くやれてるのだろう。
世の中には、、、
順番を守らない。
ごめんなさいすら言えない大人。
地面に座り込む若者。
電車で化粧をする女性。
電車やバスで大声で話すおばちゃん。
それを見ている周りの人が、もしかしたら、いつかどこかで交わるかも知れないということを考えないのだろうか?
いつも恥ずかしさを忘れたら、ダメだ。
いつもどう死ぬかを考えていれば、どう生きるかが見えてくるのだと思う。
後悔のない生き方って難しいけど、死ぬような病気や怪我をした人は生き方が変わると言われている。
そんな病気や怪我をしなくても、心がけ一つでそんな生き方もできると思うんだよね。
僕は後悔しない。
今までの人生を。
そして、君と歩く明日も。
今日も精一杯君を愛し、生きよう。
武士道とは、死ぬことと見つけたり。。
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